JENの対談企画 Mimosa Talk // #3 千田善さん×木山啓子| 001

お知らせ|2017.04.14

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(写真:左から/木山啓子、千田善さん)

今回のミモザトークは、国際ジャーナリストの千田善さん。1983~93年の間に、のべ10年近くを、セルビアとスロヴェニアで暮らし、旧ユーゴスラビア紛争を最前線から報道され続けました。旧ユーゴ紛争の教訓から、今私たちができる事をお聞きしました。

#1 戦争は知らない間にやってきた。 

木山: 旧ユーゴスラビアの戦争が始った当時、実際に現地にいらした千田さんにお聞きしたいのですが、戦争が始まる前はどんな情勢だったのですか?

千田:現在進行形で物事が動いているとき―1986年ごろ、ミロシェヴィッチ※が登場した当時なんかは、何が起こっているか正直、分からなかったんですよ。1988〜1989年にミロシェヴィッチが、コソボを弾圧し始める時点になって、これが『民族主義を利用して権力を握る』ということなのかと、実感しました。その間、2~3年経ってるんですよね。

「これから戦争をします」と言って当選する政治家はいないと思うんですよ。「平和を守るため」「我が国を、我が民族を守るため」という事で立候補して、当選して。そしてメディアをコントロールしながら国民に納得させていく。もちろん反対派の弾圧もしているわけですが。そんなプロセスがあるので結構時間がかかるんですよね。

その時間の中で、国民の感情は「民族主義」へと熟成していくんですよ。そうなってくると、その本人が戦争は止めようって言ったとしても、国民やメディアからもプレッシャーを受けちゃって、戦争をしないって決断をしたら誰かに暗殺されるような危険を自分が作っちゃうわけですよ。

※ミロシェヴィッチ:97年、ユーゴスラビア連邦大統領に就任。ユーゴスラビア内戦では連邦維持を掲げ、独立を宣言したクロアチア、ボスニアとの内戦にもつれこんだ。またセルビアからのコソヴォ独立要求を厳しく弾圧した。

木山:戦争になったと実感したのはいつですか?

千田:戦争になるとは思っていなかったし、なってもそんなに激しく長く続くとは思ってなかったですね。1991年の6月25日にスロベニアが独立宣言するっていうので、スロベニアに取材に行ったわけですよ。そうしたら、戦車が出動したと連絡が入って、4時くらいに飛び起きて、車に乗って、まずその戦車が出動した所に行ったんです。そしたら車がぺしゃんこになっていて――。写真を撮ったり、「戦車はどっちに行った」って言って、「向こうだ」って言われたら、「運転手さん、後をつけてくれ!」って。

木山:えっー!RIMG0068

千田:そんなことを言えるくらい、危険だっていうことを知らないで取材していた。つまり、戦争とはどんなものかとか、分かってなかったんです。僕だけじゃないですよ、他の国から来ている記者も皆そうで、近づきすぎて撃たれて亡くなってしまった人もいました。

木山:私も同じような話をサラエボに居た現地スタッフから聞きました。戦争が始まったってニュースで聞いても、「まさかね」、「どうせ今晩終わるよね」って言っていたと…。だけど、夜になっても終わらなくて、一週間ぐらい経っても、「なかなか終わったというニュースがないけど、聴き逃したのかな」位な感じだったと。半月も経つと、攻撃の音を聞くようになり、友達が負傷したっていう話を聞くようになり…。「もしかしていよいよ戦争に巻き込まれたのかも」って思うのにひと月もかかったと言っていました。それ位、戦争になるという実感がなかった、と聞いた時、逆にリアルに感じたことを覚えています。(敬称略)

 >> #2 対話からはじめよう。 につづく

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千田善|ちだ ぜん

1958年、岩手県生まれ。国際ジャーナリスト、通訳・翻訳者。立教大学講師。旧ユーゴスラビア・ベオグラード大学政治学部大学院中退。専門は国際政治、民族紛争、異文化コミュニケーションなど。紛争取材など、のべ10年近い旧ユーゴスラビア生活を経て帰国。外務省研修所、一橋大学、中央大学、放送大学などの講師を歴任。2006年からイビツァ・オシム元サッカー日本代表監督の専属通訳に。みずからもボールを蹴るサッカー歴40年、現在もシニアリーグの現役プレーヤー。『ワールドカップの世界史』(みすず書房)、『なぜ戦争は終わらないか』(同)、『ユーゴ紛争』(講談社現代新書)ほかの著作、翻訳がある。