シリア難民支援速報

7The Road ×クーリエ・ジャポン|5歳でPCをマスター「夢は大学進学」の難民おばあちゃんの言葉が強い!

2017.05.17

 cj_logo_blue_100px [ 本連載は、クーリエ・ジャポンとの連動掲載です。 ]
ヨルダンのザータリ難民キャンプで創刊された、“難民の難民による難民のための”月刊誌「THE ROAD(ザ・ロード)」。同誌から選りすぐった傑作記事や動画を毎月お届けする。

20170517_JD_75歳でPCをマスター_large5現在75歳のウム・モンゼル。50歳で読み書きを覚え、70歳を過ぎてPCの使い方をマスターしたCOURTESY OF THE ROAD THE ROAD

難民という境遇や年齢にも怯むことなく自分の夢を追求し続ける75歳の女性の物語をお届けする。動画はいつもの「逆」で、取材する側の「ザ・ロード」の記者たちにフォーカス。ジャーナリストという新たな希望を見つけた彼らの姿は、見る者にも勇気を与える。
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知識は光、無知は闇──75歳のシリア難民の挑戦
Text by Mohammed Al-Dayyat

「あきらめなければ、どんな難しいことだってできる。でも、あきらめたら、どんな簡単なことだってできやしない」

シリア南部ブスラ・ハリール村出身のウム・モンゼルはこう語る。現在75歳の彼女は、ザータリ難民キャンプの第9地区で暮らしている。若い頃から旺盛だった彼女の知識欲は、避難生活でも衰えることはない。「ザ・ロード」の記者が、「学ぶ」ための努力を重ねてきた彼女に取材した。

「子供の頃、両親に反対されて学校に行けなかった。教育は必要ない、どうせお嫁に行くんだからと言われてね。

20歳になって『識字教室』の存在を知り、どこかでやっていないものかと1年間、探し回った。21歳のときにようやく見つけたのだけれど、通いはじめて20日もたたないうちにその教室は終わってしまった。その後も別の教室を探し続けたけど、残念ながら見つからなかった。

結婚して子供ができてからは、テレビでよく一緒にコーランの朗読を聞いた。

コーランを読めないのが悔しくて、涙が出た。

先生方に、子供たちと共に授業に出席したいと頼んだけれど、断られてしまってね。

50歳になって、また識字教室を見つけることができて、通いはじめた。他にもたくさん私のような年配の人たちがいた。3ヵ月通って、証書をもらえたけれど、家の仕事のためにやめざるをえなかった。

子育て、畑の水やり、家畜の世話……主婦は忙しいからね。

そうこうしているうちに、シリアで内戦が起きてしまった。73歳のとき、私は1人でここザータリ難民キャンプに避難した。

あるNGOが運営する図書館に本を借りに行ったら、子供達が図書館のパソコンで遊んでいるのを見てね。事務所に行って、パソコン教室を始めてほしいと頼んだんだよ。

数ヵ月後に再びそのNGOを訪ねたら驚いたわ。パソコン教室が始まっていてね。

私も学びたいとお願いしたら、年齢のせいで一度は断られた。でも、『パソコン教室は私のアイディアだから、私にも学ぶ権利がある』と交渉したら、嬉しいことにOKしてくれた。

パソコンのOSは英語版だったから、使い方を覚えるまでは本当に大変だった。でも、いままで数えきれないほど苦労してきたからね。あきらめずに1ヵ月半の間、週2回パソコンの使い方を勉強したんだ。

もしお金があれば、復習のためにパソコンを買いたいんだけどね。

いまの夢は世界中の言葉を習うこと。大学にもぜひ行きたい。もし歩いて通わなければいけないとしても、自分の足で歩いていくよ。

知識は光、無知は闇だ。いつかシリアに帰ることができたら、光のなかで残りの人生を送りたい。それが私の夢」

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難民の声を世界に届けるために──「ザ・ロード」の記者たち


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00:42-00:52 毎月、月刊誌「ザ・ロード」を配ります。大雨の日も風の強い日も。僕たちは、いつでも読者と一緒です。

00:58-01:00 僕はアフマド・アル・ナトゥール、21歳です。

01:01-01:11 月刊誌「ザ・ロード」でボランティアをしています。「ザ・ロード」は難民の生の声や困難な状況を伝えるための月刊誌です。

01:18-01:22 「ザ・ロード」がおこなうジャーナリズムのトレーニングと実習で、レポートや記事の執筆、写真の撮り方を覚えました。

01:23-01:28 難民の声を世界に届けるために。

01:31-01:34 「ザ・ロード」が希望をくれました。

01:35-01:39 将来シリアに戻ったとき、自分の家族や国を変えていくことができると。

01:44-01:47 私はランド・アルハリーリ、15歳です。

01:48-02:01 (「ザ・ロード」で働くことで)写真撮影、取材、詩や記事、レポートの書き方を習いました。

02:18-02:26 この雑誌のおかげで、いつかシリアに戻ってから祖国を再建するという希望が生まれました。

02:32-02:34 私は「ザ・ロード」が大好きです。

The Road ×クーリエ・ジャポンの記事はこちらからもご覧いただけます。
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The Road ×クーリエ・ジャポン|シリア人女性コーチが奮闘!「世界に羽ばたく女子サッカーチームを作る」

2017.04.19

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ヨルダンのザータリ難民キャンプで創刊された、“難民の難民による難民のための”月刊誌「THE ROAD(ザ・ロード)」。同誌から選りすぐった傑作記事や動画を毎月お届けする。

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「いつか世界で戦えるチームにしたい」──2016年9月、欧州サッカー連盟(UEFA)などの支援により、ザータリ難民キャンプにスポーツ施設が完成。そこで女子サッカーチームのコーチを務めるアマール・モハマッド・ホウシャン(40)は、冒頭のような意気込みを語る。

美しい映像と音楽でザータリの日常を伝える動画では、長年、コーランの修復を生業としてきた老人にフォーカス。凄惨な避難の経験を振り返りつつ、難民キャンプでの希望を静穏に語る。
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難民キャンプから世界最強の女子サッカーチームを!
Text by Qasem Al-Shahmeh

アマール・モハマッド・ホウシャン(40)は、幼い頃からサッカーが大好きで、いつか女子サッカーチームを作りたいと考えていた。

慣習や伝統に自分の夢が妨げられるなんて、許せなかった。通りで石を投げつけられようと、彼女が決意を変えることはなかったし、むしろ、これを挑戦と受けとめてさらなる努力をした。ホウシャンは強い女性だ。

20170810_JD_the maneger2【ザータリ難民キャンプの女子サッカーチームのコーチを務めるアマール・モハマッド・ホウシャン(40)】PHOTO: SUNDUS AL-HARIRI / THE ROAD

2016年9月、UEFAなどの支援により、ザータリ難民キャンプに「ハウス・オブ・スポーツ」という運動施設ができ、ホウシャンはそこでコーディネーターとして働きはじめた。彼女や他の女性たちの啓発活動によって、スポーツをする女性が増加したという。

さらにホウシャンは、念願だった20歳以上の女子サッカーチームを結成し、コーチに就任した。

「仲間と協力してメンバーを集め、女子サッカーへの理解を広めてきました。この取り組みは非常にうまくいっています」とホウシャン。

彼女のチームはすでにいくつかの大会で優勝しており、さらに上を目指すべく練習に励んでいる。最近、15歳以下の女子チームも結成した。

ホウシャンはこれまでの半生を次のように振り返る。
「子どもの頃からサッカーが大好きでした。サッカーの試合観戦が何よりも楽しくて、いつかコーチになることが私の夢でした。正直、家族や周りの人々から私の夢はよく思われず、さまざまな批判を受けました。でも、気にはなりませんでした。私の夢は女子サッカーチームを作ること、ただそれだけでしたから」

だが、その道は決して平坦ではなかった。ホウシャンはこう続けた。

「道を歩けば、人に石を投げられました。シリア人社会は保守的で、女性がサッカーをすることは受け入れがたいからです。しかし、いったい何が悪いというのでしょうか? 女子チームは、女子同士で試合をするというのに。

私には夫と5人の子どもがいますが、夫は理解してくれていますし、子どもたちにはシリアにいた頃からサッカーを教えてきました」

今後の目標は? という問いにホウシャンはこうこう答えてくれた。

「プロレベルの女子サッカーチームを作りたいです。世界的強豪と言われるほどの。難しいことではありません。固い決意は、不可能を可能にします」


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私に残されたもの – コーランを修復する男
Directed by IN TRANSIT TEAM / Project Director Omar Braika / Supervisor Cyril Cappai, Hada Sarhan

00:04-00:20 傷んだコーランを修復すれば、読んだ誰かがこう言うだろう。「これはいい。読みやすい」
00:28-00:47 私の名前はアブドゥラ・イッサ。(シリア南西部の)ダルアーから来た。1938年生まれだ。2013年2月2日の午後2時、家族とともにヨルダンのザータリ難民キャンプに到着した。
00:49-00:55 あれから4年と20日の月日が過ぎた。これらのコーランには抜け落ちたページがたくさんある。
00:56-01:12 シリアにいた頃は、コーランの修復が私の仕事だった。ここでも同じだ。モスクに行き、コーランを修復し、自宅に戻る。
01:22-01:40 誰かに修復方法を教えたいと、イマーム(イスラム教の聖職者)に言った。古くなったコーランを受け取ると、まずは損傷具合を調べる。そして、修復をする。
01:42-01:56 テープやのりを使って。このようにテープを貼り、直す。こちらも同じように。
02:25-02:32 (私は難民)キャンプに暮らしている。神のご加護により、皆と同じように。ここでは、皆、同じような暮らしだ。
03:07-03:16 お金はないが、キャンプにあるすべてのモスクを訪れる。シリアにいた頃は、神のご加護により、自分の資金でコーランを直していた。私のお金は神のものだ。
03:51-04:02 いまは賃金をもらっている。神の本を救うことで、神が喜んでくださったと感じる。
04:15-04:27 妻と息子とここで暮らしている。18人の子どもを授かった。6人の息子と12人の娘だ。(シリアにいる子どもたちは)どうしているか、数日おきに電話している。
04:30-04:36 10人はダマスカスに、1人は(ザータリ難民)キャンプにいる。全部で11人。 7人は亡くなった。
04:37-04:44 5人は病気などで小さい頃に亡くなった。残りの2人は戦争で死んだ。
04:47-05:03 妹の家に車に向かう途中、正面から銃撃された。車には運転していた息子、その母親と妹が乗っていた。息子は胸に2発、妹は首に銃弾を受け、亡くなった。
05:05-05:14 母親は指を撃たれたが、回復した。しかし、そのけがのせいでキャンプに来られなかった。
05:16-05:28 私たちは神の子。神のご加護で、御許に戻る。私は神に生命を捧げたい。
05:43-05:51 神のご意志で、よき最期を迎えたい。私にとっては、コーランの修復が最良のことだ。
06:02-06:15 シリアに戻ること、子どもたちが安全に暮らすことを望んでいる。私の人生に残されたのは、コーランを修復することだ。
06:16-06:18 シリアに戻り、モスクをめぐり、生命が尽きるまでコーランを修復したい。

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The Road ×クーリエ・ジャポン|自転車に乗る「自由」を勝ち取るために戦う少女たち

2017.03.17

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ヨルダンのザータリ難民キャンプで創刊された、“難民の難民による難民のための”月刊誌「THE ROAD(ザ・ロード)」。同誌から選りすぐった傑作記事や動画を毎月お届けする。

20170727_JD_The main photo1シリアの昔ながらの慣習が根強く残るザータリ難民キャンプでは、近頃、「女性が自転車に乗っていいのか?」問題が人々を賑わせている。男女それぞれの熱い意見を、男性記者が取材した。

大好評の動画シリーズでは、シリアの伝統音楽「アラーダ」を復活させた音楽家たちを紹介。華やかな衣装に身を包み、高らかに民謡を歌い上げる彼らの姿からは、故郷を離れても決して伝統を絶やさないという強い決意が伝わってくる。
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女の子だって自転車に乗りたい
Text by Yaser Al-Hariri Photographs by Ali Al-Musleh

「ザータリ難民キャンプで初めて自転車に乗ったときは、恥ずかしかったです。みんなが私を見ていましたから」

15歳の少女ヌール・ムスタファは、イベントで自転車に乗ったときのことをこう振り返る。だが結局のところ、彼女は大勢の目を気にせず、風を切りながらぐんぐん進んでいく自転車の爽快感を楽しむことができた。
その日は他にも15人ほど女の子がいたので、それに勇気づけられたのだ。

ヌールが参加したのは、難民キャンプで男性にだけ自転車が提供されたことに対する抗議イベントだった。

「ここで、私みたいな女の子が自転車に乗っていると、じろじろ見られるし、陰口も叩かれます。でも私は、自転車に乗ることをやめるつもりはありません」

難民キャンプでは、交通手段が限られている。それゆえ、紛争で男性家族をなくした女性だけの家庭では、自転車がないとどこにも行けない。また、ザータリ難民キャンプの敷地面積は設立当初からかなり広がった。そのため、市場からずっと離れた不便な場所に住んでいる人もいる。

ヌールもいつも自転車で買い物に行っている。女性にだって自転車が必要だということを周囲に訴えるため、これからも乗り続けるつもりだ。

彼女は、キャンプで支援活動をしている団体が主催する自転車ツアーに、いまも女友達と参加しているという。

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【ザータリ難民キャンプで自転車に乗る女性】

「現実的に考えてください。キャンプでは、自転車以外の移動手段がないんです。女性が自転車に乗ってはいけないという人たちの根拠は、『伝統的にそうだったから』に過ぎません」

ウム・ラフィ(46)も、ヌールの意見に同調する。彼女もまた、自転車に乗っているといつも白い眼で見られるそうだ。

「シリアの伝統では、受け入れられないことでしょう。でも私は気にしていません。男性たちは時間を節約するために、キャンプを自転車で移動しますが、私たち女性にだって当然同じ権利があると思います。この考えが浸透するには、時間が必要でしょうけどね」

男性は、こうした女性たちの意見をどう見ているのだろうか。アブ・イッサ(52)は、シリア社会を象徴するある諺を引用した。

「食べるものは自分の好みに合わせなさい。でも、服はまわりの好みに合わせなさい」

だが、イッサは決して女性の自転車使用に反対しているわけではないようだ。

「我々の社会は保守的です。よっぽどの事情があっても、女性が自転車に乗ることを容認するのは、かなり難しいと思います。

でも私個人は、近い将来それが当たり前になればいいと考えています。女性たちの自信にもつながりますし、誰かが必要に迫られてやっていることを、否定的な目で見るべきではありませんから」


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「アラーダは、世界中を両肩に乗せているような気分にしてくれる」
Directed by IN TRANSIT TEAM / Project Director Omar Braika / Supervisor Cyril Cappai, Hada Sarhan

00:20-00:40 私はジヤード・アブ・ルストム。シリアのホムスから来た。42歳。2014年からここに住んでいる。シリアにいたときのように「アラーダ楽団」を結成した。アラーダとは、愛と喜びと伝統を表現するものだ。
1:23-2:06 はじめは多くの問題に直面した。
(故郷)ホムスにあった楽団のようなものはなかったので、(ここ、ザータリ難民キャンプで)新しい楽団を作った。アレッポ、ダラー、ゴータ、ダマスカス、ホムス等、シリアの各都市から11人を集めた。簡単ではなかったが、神のご加護のもと、うまくいった。
初めは道具や衣装がそろわなかった。また、キャンプで暮らす人々の家計を考え、祝い事で演奏するときでも、ギャラを通常の4分の1に抑えた。
2:08-2:22 タンバリンが買えなかったので、ドラムから作った。グワールという仲間が、ドラムを切って、タンバリンにしたんだ。
2:53-3:02 アラブの衣装には3つのスタイルがある。「ドゥマニヤ」「ハマウィヤ」そして、フランス式だ。
3:18-3:29 パーティーを開き、タマリンドジュースを売り、衣装をそろえていった。1~2ヵ月に1着ずつ衣装を買い足していったんだ。
3:34-3:55 シリアでは、いつもこのタマリンドジュースを入れるボトルと一緒に仕事をしていた。23年間、このボトルを背中に抱えた。もともとは兄がタマリンド売りをしていたが、腰を痛めて続けられなくなった。
初めて背負ったときは、転んでしまったよ。だから3日間、家で背負い方の練習をした。この仕事を愛しているので、手放すことなど考えられない。このボトルは、いつも私と共にある。
4:27-4:50 アラブの衣装を着て通りを歩けば、世界中を両肩に乗せているような気持ちになる。
次の世代にも過去を忘れず、伝統を継承していってほしい。彼らがアラブの衣装をバカにしないように願う。我々の起源であり、受け継ぐべき遺産なのだから。
5:36-5:57 第2、第3の楽団も作りたい。私、アブ・ルストムがいなくても、ここで育った若い世代に伝統をつないでもらいたい。
そして、人々が悲しみや苦難を少しでも忘れていられるよう、幸せと喜びを広げてほしい。

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The Road ×クーリエ・ジャポン|拳を磨き壁を破っていく「難民テコンドー一家」

2017.02.17

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ヨルダンのザータリ難民キャンプで創刊された、“難民の難民による難民のための”月刊誌「THE ROAD(ザ・ロード)」。同誌から選りすぐった傑作記事や動画を毎月お届けする。

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荒野に建てられた仮設住宅に暮らす難民キャンプの生活では、さまざまな不自由を強いられる。だが、支援団体などからのサポートを通してこれまでの古い慣習を打ち破り、自分たちの将来を切り拓こうとする女性たちの姿も見られるようになった。
大好評の動画シリーズでは、ザータリで有名な「テコンドー一家」を紹介。首都アンマンで開催された2つの大会を制覇するなど、彼らの快進撃はザータリの住人に明るいニュースをもたらしている。
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夢の前に立ちはだかる「壁」を壊そうとする女性たち
Text by Sundus Al-Hariri

ザータリ・キャンプで暮らすシリア人女性は、男たちが造り出した「禁止」という名の壁に常に取り囲まれている。そして、往々にしてその壁が、彼女たちの夢の障害になっている。

中東地域には伝統的に、男性主導で決定すべきことが確かにある。だが、自分の将来に関わることは女性たち自身が選択し、決断するべきだ。

それにもかかわらず、ザータリでは多くの女性たちが、父親、夫、兄弟などの男性家族に教育や職業訓練を受けることを禁止されてしまう。彼女たちの豊かな未来の可能性が、男たちによって狭められてしまうのだ。

20170217_JD_the 2nd photo2PHOTO: COURTESY OF THE ROAD

「THE ROAD」編集部はこの問題について、さまざまな年代の男女に取材をした。1人目は、匿名希望の20代女性。彼女は男女混合だからという理由でUN WOMANなどがおこなう教育・職業訓練コースへの参加を家族に禁止された。

「男性と一緒というだけで、コースへの参加を禁止する父親もいます。我々の慣習では、男女が同じ部屋にいることが許されていないため、娘が心配なのです」

14歳のヌールも、父親にコースへの参加を禁止された。

「私は将来のために英語やコンピュータのコースに参加したいんです。けれども、たいてい父から反対されます。父は、コースに通う道中で私が何かトラブルに巻き込まれるのを心配しているのです。でも残念ながら父の心配のせいで、私の未来は閉ざされています」

もちろんなかには、家族の許可を得てコースに参加している女性もいる。もう1人の匿名の20代女性は、それに疑問を感じているようだ。

「ザータリの女性全員が、家族にコースへの参加を禁じられているわけではありませんが、よく聞く話ではあります。親が娘を信頼して、私たち自身が進むべき道を決められたらいいのですが」

実際に教育・職業訓練コースに参加した、もう1人のヌール(40)は、コースの意義を次のように称える。

「私は参加者のなかで最年長だったので、当初は気後れすることもありました。でも、このコースでたくさんのことを学んだおかげで、仕事に就くことができました。誰かにコースへの参加を邪魔されなかったことを神に感謝していますし、他の女性にもぜひ私のように学んでほしいと思います。

私は、自分のことはすべて自分で決めます。それに、ザータリにも男女共学の大学に進学した女性は大勢います。大学と教育・職業訓練コースの間に、どんな違いがあるというのでしょうか?」

20170217_JD_the 3rd photo3PHOTO: COURTESY OF THE ROAD

.では、男性側はこれについてどう思っているのだろうか?

2人の娘を持つアブ・ハサン(40)は、反対派だ。

「娘を教育・職業訓練コースには参加させたくない。どうせ役に立たないだろうし、男女混合のコースで娘たちに問題が起きたら困る。だから許可しないんだ」

だが、すべての男性が女性に教育の機会を与えることに否定的なわけではない。アブ・シャヘル(50)は言う。

「父親は子供の幸せを祈っているものだ。しかし、ときに恐怖に囚われ、子供たちが進むべき道が見えなくなってしまう。

女性が教育・職業訓練コースに参加するのを男たちが禁止するのは、これまでの慣習のせいだ。だがこれからは若い世代の行く末を、皆がより広い視野で見るべきだ。シリアの女性たちは善悪の判断がつくから、何も心配はいらない。教育を受けることによって、彼女たちの未来は大きく拓けるだろう。

男女が同席することを恐れるあまり、彼らの教育のチャンスを奪うべきではない」

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「テコンドー」は子供たちの希望
Directed by IN TRANSIT TEAM / Project Director Omar Braika / Supervisor Cyril Cappai, Hada Sarhan

0:31 私たちは、8人家族だ。私には妻と6人の子供がいる。娘が3人、息子が3人。そのうち4人がテコンドーを習っているが、他の2人は小さいので、まだ始めていない。
0:51 子供たちは、すぐにテコンドーが大好きになった。私が道場に行かなくても、「練習をしに行きたい」とおねだりされるほどだ。
1:17 私たちは週に4日練習する。テコンドーの技が上達するためには忍耐が必要だから、それを幼い頃から子供たちに教えている。
子供がテコンドーの教えを守れるようになったら、その子供はいつどんなときでも、リーダーシップをとれる。人生の見方も変わり、生き方も変わる。
2:15 女の子が足を蹴り上げる武道を習うなんて、許されないと考える人たちもいる。だが、スポーツにおいて許されないことなんてあるのだろうか。女の子であっても、テコンドーを続けていいはずだ。将来は、オリンピックの金メダリストになり、自分とシリアに誇りをもたらせばよい。
テコンドーは彼女たちの未来であり、希望なのだ。彼女たちは、他の女の子にも良い影響を与え、そして人々の固定観念を覆すだろう。
そんな希望に溢れた子供たちを、なぜ止める必要があるのか。好きなだけテコンドーをさせればいい。
3:20 ザータリ・キャンプで開催されたテコンドー選手権には家族で出場した。ヨルダンの首都アンマンで技を披露したこともある。子供たちは、たくさんのメダルを持ち帰ってきた。
3:50 ここ(ザータリ)には、美しい風景も住む場所もない。老人たちは、かつてのシリアの美しい景色を知っている。だが、いまは(紛争で)破壊された姿しか見ることができない。
それは子供たちにとって大問題であり、悲しいことでもある。しかしそんな状況でも、棘だらけの大地にも花は咲くのだ。
4:34 最初は、イブラヒム、ヤマーマ、アスマ、3人の子供と始めたテコンドー。
4:40 テコンドーを教えても、私自身にはあまりメリットはない。だが、キャンプの子供たちにとって、これは大きな希望だ。
4:54 希望は子供たちのためにある。私たち大人がしっかりと子供たちの希望に耳を傾け、叶える努力をしないと、子供たちは希望を失う。
それは、私たちが希望を失うことと一緒なのだ。
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The Road ×クーリエ・ジャポン|「愛する母のために…」1日わずか2ドルの労働に耐える11歳

2017.01.23

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若者たちが未来を前向きに見据える一方で、難民キャンプでは児童労働が深刻な問題となっている。家族のために自分を犠牲にして、厳しい労働やいじめに耐える11歳の少年を描いた動画「生きるために」は、胸を刺すような映像美がいっそう悲しみを誘う。(ザ・ロードの詳細はこちらから

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2017年のシリア難民の願いは? 帰還を夢見る老人たち、復興を目指す若者たち
Interview by Yasser Al Hariri

ザータリ難民キャンプに暮らすシリア難民の2017年の願いは、世代によって違う。それはきっと紛争が始まってからの5年の間に、考え方や未来に対する希望が変化したからだ。
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PHOTO: COURTESY OF THE ROAD

老人たちは、シリアに平和が戻ること、そして一刻も早く帰還できることを願っている。若者たちは、もっと現実的だ。彼らは、紛争によって壊滅的に破壊されたシリアをどう立て直すかを考えはじめている。

「ザ・ロード」のスタッフが新年を迎えるにあたり、何人かのシリア難民を取材し、2017年の願いを聞いた。

エルハム・アフマッド・アル・シュワムラ(45)──新年には、すべてのアラブ諸国に平和をもたらしてほしい。そして、故郷に戻りたい。もう離れて数年たつが、私がシリアを忘れることは、一生ないだろう。

オム・ジハッド(45)──私たちはまだ、シリアに戻るという希望を捨ててはいない。2017年はシリアが平和になることを願う。そして昔のように、住んでいた村の林道を歩き、木の下でゆったり座るような美しい日々を過ごしたい。

オム・ウィサム(36)──ザータリキャンプには数ヵ月しか、滞在するつもりはなかった。まさか2017年をこの地で迎えるとは、夢にも思わなかった。素晴らしい故郷シリアと、そこで過ごした日々を忘れることはできない。だからこそ私は辛抱強く、帰る日がくるのを待っている。早く愛する家族や親戚のもとに帰りたい。

モナマッド・サイフディン(9)──2017年は、シリアに帰って、僕たちが暮らしていた大好きな村に戻りたい。そこに住んでいる友だちに会って、一緒に遊んで、昔のように楽しい日々を過ごせたらどんなにいいかと思う。

オマール・アデル・ガズラン(18)──2017年は勉強を頑張る。そして、シリアに戻ったら仲間たちと一緒に国の復興に尽くしたい。

スンドゥス・ユーセフ・アル・ハリリ(19)──今年は中学校を卒業して、将来は、(ヨルダンの)アル・ヤルムーク大学でアラビア語か、通訳・翻訳を学びたい。そして、そのまま勉強を続けて、専門家になるのが夢。

ブシュラ・アフメッド・アル・ハリーリ(19)──今年は、タウジーヒ(全国一斉検定試験)でよい成績をとって、将来は大学で英文学を学びたい。それと、ザータリキャンプの支援団体のサービスがもっとよくなるよう、祈ってる。

アメラ・モハメッド・アル・ハリリ(58)──2017年は、みんなに幸せが、そしてイスラム教徒とアラブ諸国に平和が訪れ、すべての難民が母国に戻れますように。


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「シリアの代わりになる国など存在しない。だから戻るという希望を決して、捨てはしない」
Text by Hajer Al Kafri

シリアに帰りたいという希望を抱きながら、また1年が過ぎ、そして新しい1年が始まる。紛争が子どもたちを奪う前に、私たちが暮らしていた母国の大地を再び踏みたいと、常に願っている。この希望を失わないまま、生きていきたい。

ようこそ2017年。新年に期待することは多いが、どうか愛と喜びに満ちた平和な日々が続き、みんながシリアに戻れますように。

ここザータリキャンプでも、太陽が昇れば子どもたちは学校へ行き、私たちは仕事に行く。礼拝をし、伝統を次世代の子どもたちの心に刻んでいく。

難民キャンプに暮らしながらも勉学を続け、大学に通うシリア人も多い。明るい未来を描けるほどに、とても優秀な学生もいる。その優れた能力は、母国シリアのために役立ててほしい。私たちの心には、シリアの代わりとなる国は存在しない。

だから私たちは「シリアに戻る」という希望を決して捨てない。

ようこそ2017年。私たちはこの先に訪れる素晴らしい日々を夢見ている。いったい、何が起こるのだろうか? それは誰も知らない。強さと忍耐を示したシリア難民には、神の意志により美しい日々が待っていると信じよう。

そう信じながら、父親たちは勇気を持ち、母親たちは辛抱強く、子どもたちは勤勉に、人生を歩んでいこう。


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「生きるために」──1日わずか2ドルで働く11歳のムハンマド
Directed by IN TRANSIT TEAM / Project Director Omar Braika / Supervisor Cyril Cappai, Hada Sarhan

(以下は字幕の日本語訳)
0:01 JENは、国連機関や他のNGOとともに、ザータリ難民キャンプ設立当初から、子どもたちが労働の場を離れ、学校に通えるよう、支援活動を継続している。
0:07 手押し車が重すぎて、まっすぐ歩けないよ。
0:30 僕の名前は、ムハンマド・アドナン・アルジュルム。いま、11歳。
0:32 好きなことはサッカーとビー玉で遊ぶこと。
0:45 お祈りが終わったら、手押し車を持って仕事に出かけるんだ。

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PHOTO: COURTESY OF THE ROAD

1:00 毎日仕事が終わったら、お母さんに稼いだお金を渡すよ。
1:20 もらえるお金は大体1.25JD(約200円)とか0.75JD(約160円)とか、0.50JD(約80円)とか、それぐらい。
1:31 仕事をするのは、お母さんを助けたいから。
1:35 お母さんを喜ばせたいんだ。
1:53 僕の仕事では手押し車を使う。手押し車で荷物を運ぶんだ。
1:56 たとえば、マーケットで買い物した人の荷物とか、キャンプの入口まで荷物を運びたい人の手伝い。
3:10 お客が見つかると、他の男の子たちがきて「金をよこせ」って言うんだ。
3:20 お金を渡さないと、ぶたれる。
3:23 彼らは僕のお金で、タバコを買う。
3:27 男の子たちは、鉄の棒とかロープとかムチを持っている。
3:32 手押し車を壊したり、僕のことをぶったりする。
4:12 僕はお母さんと一緒にシリアから来た。
4:15 ここで生きるためにザータリに来た。
4:19 お父さんはシリアに残った。ここにいるのは、お母さんと兄弟と、僕。
4:26 もしお父さんが一緒にいたら、僕は働かずに、幸せだっただろうな。
4:56 ときどき、お母さんはキャンプの外でトマト農園の仕事をしたらって言う。
5:02 それなら、他の子たちにぶたれない。
5:15 僕は、先生になりたいんだ。
5:17 学校を1日だって休みたくない。
5:21 そして、ちゃんといまの学年を修了したい。
5:24 大きくなるまで学校に通って、先生になって、子どもたちを教えるんだ。
5:31 愛してる。
5:37 ザータリ難民キャンプでは5~17歳の子どもたちのうち、1,119人が労働に従事している(2016年国家児童労働局調べ)

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