ザータリキャンプでは9月に入り、雲も見られるようになり35℃を下回る日も出てきましたが、それでも40℃近い猛暑がいまだに続いています。
今回の「シリア難民支援レポート」では、
1.「キャッシュ・フォー・ワーク」という、ザータリキャンプ内で行われている「有償ボランティア」制度について。
2. JENがこの制度を通してコミュニティセンターの守衛をお願いしている女性をご紹介します。
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1.「キャッシュ・フォー・ワーク」とは
「キャッシュ・フォー・ワーク」(以下、「CFW」と表記)は、難民自らがキャンプ内で「有償ボランティア」を行い、キャンプ内の環境改善やサービス向上に貢献し、対価をもらうことで自らの生活改善を目的とした制度です。
日本では東日本大震災の復旧・復興支援でもこの制度が活用され、自らが地元の支援に取り組むことで、被災者自身の手で復興を行い、同時に自立支援にも繋がる制度として注目されました。
JENではこの制度を通じて、キャンプの清掃員やJENの施設の守衛、補修工事作業員をお願いしています。JENでは通常仕事を見つけるのが難しい障がい者や、女性も積極的に活用することを目指してしています。
JENがコミュニティセンターの守衛をお願いしているシリア難民女性、ラシャさんのインタビューをご紹介します。
シリアでの生活やヨルダンのザータリキャンプへ逃れて、大変であったキャンプ初期の頃の生活、そしてCFWとして働き始めてからの彼女の生活の変化などを話して頂きました。
2.「この仕事は私に自信を持たせてくれた」~ラシャさんへのインタビュー
「ラシャと言います。現在28歳でシリアのダラア県にあるサフ村の出身です。」
【JENスタッフのインタビューに応えるラシャさん(写真手前)】
「シリアでは以前結婚しており、娘も1人授かりました。しばらくして夫と離婚してからは家族のもとに戻り暮らしていました。その頃は娘も小さかったことから、ほとんどの時間を家で過ごしており、病院や買い物など、必要な時以外は特に外出もしない生活を送っていました。」
「内戦が始まり、2011年11月26日にここヨルダンのザータリ難民キャンプに避難しました。あの頃はとても苦しかったから今でも日付をはっきりと覚えているんです。」
「最初は家族と娘、計10人で1つのテントを共有しており、トイレとシャワーを他の大家族と共有。上水のタンクも共有だったのでいつも水を汲みにいかねばならず、しばしば自分たちがもらえるはずの水量がもらえない、という日もありました。」
「今年の7月2日からJENでコミュニティセンターの守衛として働き始めました。毎朝8:00から12:00までが私のシフトです。仕事の内容は門の開け閉めや、コミュニティセンターにある物品の管理、そして他団体から預かり物をした際はJENのスタッフに連絡します。あとはここの清掃や植物への水やりを行っています。」
「この仕事を始める前は1日、特にやることもなく過ごしていました。外出する機会があったとすれば、病院に行ったり、食糧の配給を受け取りに行くことくらいでした。しかしこの仕事を始めて、自分に自信が持てるようになりました。」
「家族を経済的に支えることもできるようになりましたし、『支えになっている』と考えられるようになってからは、精神的にも強くなれました。以前は女性のためのCFWはほとんどありませんでしたが、私がこの守衛の仕事につけたことなど、状況がどんどん改善されてきています。」
「CFWの機会は私のようなシングルマザーの家庭にとっては欠かすことのできない収入源となっています。」
【ラシャさんが守衛をしている第4地区にあるJENのコミュニティセンター】
JENではこのCFW制度を通して、ラシャさんのような女性や障がい者がいる家庭など、キャンプでの生活で現金収入を得にくい世帯の支援を今後とも続けていきます。
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8月も半ばにさしかかりましたが、ザータリキャンプでは相変わらず40℃近い暑さが続いています。
JENは、今年からザータリキャンプ内の最脆弱世帯に焦点をあてた、生活向上支援に着手しています。
ザータリキャンプでは、家族6人に対して3メートル×5メートルのコンテナ(キャンプ内では「キャラバン」と呼ばれています)が一つ提供されています。
それだけでは、生活をするには狭すぎるため、多くの家庭では、キャラバンの外にトタン板で屋根や壁を作り、そこにキッチンやトイレ等のスペースを作ることで、居住空間を広げて生活しています。
ザータリキャンプは荒野の上に作られたキャンプで、石などが多く平らではないため、多くの家庭では、その延長した空間に、コンクリートを敷いています。
しかし、車いす生活の方がいる世帯、介護が必要なお年よりが複数いる世帯、子どもがたくさんいる母子世帯等の中には、働いて現金収入を得ることが難しい家族も多く、平らではない土の床のままで、不便な生活を続けている家族が見受けられました。
そこでJENでは、8世帯にコンクリートの床を作り、生活が少しでも良くなるようにお手伝いをしました。
ここからは作業の様子を写真にてご覧ください。
【トタン板に囲まれた家の中、毛布の下はこのように土の床があるだけです】
JENでは今後も、キャンプ内の最脆弱世帯に寄り添い、彼らのニーズに合わせた支援を続けていきます。
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PHOTO: ALVARO FUENTE / NURPHOTO / GETTY IMAGES
ザータリ難民キャンプでも仕事や学校に行かず半年以上自宅にいる15~39歳の「引きこもり」の人の増加という問題が起きている。問題の根本を探るため、「ザ・ロード」の記者が関係者に幅広く取材した。
動画シリーズでは、キャンプ内のサーカス・スクールに通う子どもたちを紹介。「いつか雲に届くほど高く飛びたい」──宙返りやバク転などの技に没頭するうちに、彼らの夢は広がっていく。
(ザ・ロードの詳細はこちらから)
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「何もせず家にいると、自分がゆっくりと溶けていくロウソクになったように感じます」
こう語るのは、ザータリ難民キャンプに暮らすシリア難民カラフ・ムハンマド(25)である。
ザータリの若者の多くが、家族に養われている。妻子の収入に頼っている場合もある。彼らは仕事を探す努力をしないまま、若くして結婚し、「仕事がないのは社会のせいだ」と自分を正当化しているのだ。
支援団体「IMC : International Medical Corps」で「ライフ・スキル」研修を担当するサナ・アルカセムによれば、キャンプ内の若者の93%が、仕事もなく、キャンプ内の支援団体が提供する職業訓練コースへも参加せず、ただ家で時間をつぶす毎日を過ごしているという。助けてもらうことばかり考え、家族を当てにする者も多い。これが怠惰や依存でなくてなんだろう。
「戦争によって引き起こされた困難な状況が、多くの若者たちから働く意欲を奪っています。自営で事業を始める可能性も限られていますし、こういう状況が続けば、精神を病むことさえあります」と、アルカセムは言う。
冒頭のカラフ・ムハンマドは、シリア内戦が始まった当時、大学生だった。ところが、内戦のせいで学業を中断せざるをえず、ザータリ難民キャンプで避難生活を送るようになった。3年前からぜんそくを患い、働くこともできない。
「自分がただ時間を無駄にしていることはわかっています。毎日、午前1時半に寝て、11時に起きています。朝食をとり、午後2時頃からは昼寝をします。兄弟は働いているので、私に小遣いをくれます。私もときには、食料配給の粉末ミルクを売って小銭を稼ぎます。自分がこんなに弱く、無力な存在だとは思いませんでした……」
同じく中学3年生で学業を中断したムハンマド(19)は、自分に合った仕事がないのだから、仕方ないのだと話す。
「ザータリに来てから、仕事がないまま結婚をしました。費用は父が出してくれました。ザータリに来て以来、私は何もしていません。父がキャンプ内の支援団体で働いているので、生活には困りません。毎日することと言えば、電話で友達と話すだけ。仕事や職業トレーニングには、いまのところ興味はありません」
引きこもりの人が増える背景には、ザータリキャンプの深刻な失業問題がある。シリアでは農業をしていたマフムード・アルハリーリ(40)は、2012年にザータリに来て以来、ずっと仕事を探している。だが、どこに行っても、待つように言われるばかりだ。
「毎日、友人や隣人との会話で暇をつぶしていますが、心は陰鬱で退屈です。生活は、食料配給と、湾岸諸国で出稼ぎをしている親戚の仕送りに頼っています。こんな生活が正しいはずありません。シリアに戻り、再び農業ができる日を待ち望んでいます」
子を持つ親世代はこの状況をどう見ているのだろうか?
ウム・ワエル(37)は、母親の立場からこんなメッセージを送る。
「確かに、仕事がないせいで若者たちは無力感に苛まれています。でも、何度失敗してもあきらめずに、挑戦し続けてほしい。若者は、シリアを再建する未来への希望なのだから」
アブ・カリッド(55)は、父親としてこう話す。
「キャンプ内で、何もせずに家に閉じこもっている若者は多い。彼らは若者らしい『魂』を失ってしまったようです。『人は自分の蒔いたものしか刈り取れない』という諺を彼らに思い出してほしい」
前出のアルカセムは、多くの若者が父親と別れて暮らしていることも、この問題の一因だと考えている。彼らにはロールモデルとなる男親が身近にいないのだ。アルカセムはすべての若者たちに対し、仕事を探し続けたり、支援団体の職業訓練コースに参加するようにと働きかけている。
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00:30-00:54 ザータリキャンプには5年住んでいるよ。ここでは、勉強したり遊んだり。体を動かしたいからときどきサーカスにもいく。シリアにいた頃、兄弟姉妹やいとこたちと良く遊んだよ。その頃、僕は7歳だった。いまは10歳になった。
00:55-1:06 お父さんが「ザータリキャンプに行こう、そのほうがいい」と言ったんだ。シリアではたくさんの子どもたちが亡くなった。銃声が聞こえると、みんな泣き出した。
01:15-01:22 僕が喜んでいると、兄弟たちも喜ぶし、悲しんでいたら、みんなも悲しくなる。
01:28-01:38 サーカスに通って2年になる。最初は、いとこや友達のように宙返りがしたくて、サーカスに入った。
01:49-01:59 ザータリキャンプで、たくさん友達ができた。ほとんど、サーカスで出会った。はじめは、いとこしか知らなかったけど。
02:18-02:25 サーカスに行きはじめて、たくさん友達ができた。
02:39-02:50 難しくてできない技があると、友達が励ましてくれる。最初は簡単な技を練習して、成功したらどんどん難しい技に挑戦していく。一番難しい技ができるようになるまで。
02:54-03:00 僕にとって一番難しいのは連続技。でも成功すると、わくわく、嬉しくなる。
03:16-03:22 友達もいとこもみんなが好きな技だ。
03:35-03:45 サーカスに通う前は、いとこたちに後ろ宙返りや前宙返りを教わった。
03:56-04:01 最初は砂や土の上で練習した。
04:18-04:21 高く飛び上がると、まるで雲に届いたような気持ちになる。
04:33-04:50 将来は、お医者さんになりたい。どこにでも病気はたくさんあって、お医者さんは足りないから、僕は無料で患者さんを助けたい。お金を持っていない人もいるから。
04:52-04:59 僕の未来は真っ白だ。好きな色は緑だけれど、いまは白が好き。雲の色だから。
The Road ×クーリエ・ジャポンの記事はこちらからもご覧いただけます。
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ザータリキャンプでは、40℃を超す日々が続いています。ただでさえ少ない水の量がさらに限定される季節です。
そんな中、JENでは、節水型ガーデンプロジェクトを進めています。このプロジェクトの一番の特徴は、1日に2リットルしか要さない貯水機能付き苗床を利用するところです。この苗床を住民に配布し、花やハーブを育ててもらい、生活のよりどころにしてもらえれば、と考えています。
小さいスペースでも植物を育てられる、ウィッキング・ベッドの作り方を簡単にご紹介したいと思います。
【2. このコンテナの底に水を流し入れるパイプを装置します。このパイプから水がしみ出るように小さい穴をあけておきます】
7. 出来上がったら、水が十分に苗床に染み渡るように、約200リットルの水を少しずつ流し入れていきます。その後は、水がパイプを通り、土を介して下から上がっていく仕組みを利用し、毎日2リットルの水を流し入れ、植物を育てていきます。
このウィッキング・ベッドは住民が水の使用量を気にせず、好きな植物を育てられる環境が提供できます。
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イードの日におしゃれをしたシリア難民の少女 COURTESY OF THE ROAD
イスラム教の断食月ラマダンの終了を祝う「イード・フィトル」は、ムスリム(イスラム教徒)たちにとって最も大切な祝祭の一つだ。ザータリ難民キャンプで暮らすシリア人たちもまた、故郷での盛大な祝宴に思いを馳せつつ、つつましやかに大事な慣習を続けるのだった。
(ザ・ロードの詳細はこちらから)
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ザータリ難民キャンプに祝祭を知らせるのぼりがはためき、子供たちは空高く飛ぶ夢を見る。「イード・フィトル(ラマダン明けの祝祭)」には、「遠く離れた家族の姿も見えるほど、高く高く舞い上がる」という意味がある。
キャンプで避難生活を送るシリア難民たちにとっても、イードは待ち遠しい祝日であり、故郷に思いを馳せる日でもある。
アフマド・アル・カティビ(25)は、イードに対する複雑な思いを次のように語った。
「シリアにいたころは、イードの日に遊園地に行ったり、新しい服や花火を買ってもらったりしたものです。難民キャンプにいても、もちろんイードはわくわくしますが、いまだにシリアに残る家族のことを想うと、心から幸せな気持ちにはなれません」
イードの初日には、朝起きて礼拝し、いとこたちがやってくるのを待つ。午後の礼拝の後は、親戚の家を訪ねる。
「シリアでは父と一緒に礼拝した後、母と朝食の準備をしました。朝食後は、祖父の家を訪問し、ゆっくり一緒に過ごした後、友達や親戚の家を訪ね歩きました。
遊園地は笑顔の子供たちであふれていました」
キャンプのなかのお店でおもちゃを選ぶ子どもたち COURTESY OF THE ROAD
ウム・カセム(56)は、シリアとザータリ難民キャンプでのイードの違いをこんなふうに嘆いた。
「昔は、みんな助け合って生きていたけれど、ここでは残念ながらみんな自分の暮らしで精いっぱい。シリアでは、イードの数日前から、子供たちの服やお菓子、おもちゃの買い物に夫と一緒に出かけたものだよ。イードの初日は、孫たちが朝早くから遊びに来ていた。私が笑顔で迎えると、孫たちは遊園地に行くお小遣いをせがんだものさ。
でも、ここでは同じようにはいかないね。孫たちにはもう4年も会っていないし、近所の人はだれも訪ねてきてくれない」
ムハンマド・アル・ナブルシは、シリアでは父から受け継いだ農園を経営していた。経済的にも恵まれていたので、イードの日には子供たちを喜ばせるためにたくさんの買い物をしたという。
「でも、残念ながら、ここでは仕事がないので、家族が最低限必要なものさえも手に入れることができません。イードのための新しい服やおもちゃさえ買ってやることができないのです。
イードの日が来ても、難民キャンプでできるのは、親戚を訪問するぐらいです。
子供たちに何もしてやれないのは辛い。早くシリアに戻って、失われた時間の埋め合わせをしたいです」
イードの思い出は人それぞれだが、その日に故郷シリアがいっそう恋しくなるのは、すべてのシリア難民に共通しているようだ。
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イードが近づくと、ザータリ難民キャンプ最大の市場「シャンゼリゼ通り」には、ラマダン明けを祝うためのよそいきの洋服やおいしそうなお菓子が並び、祝宴を心待ちにする人々の顔には笑顔があふれる。動画にて、年に一度のお祭りに沸くザータリの様子をお届けする。
※動画のなかで人々が口にしているのは、「Kullu am wa antum bi-khair(よい1年となりますように)」というラマダン明けの挨拶。
The Road ×クーリエ・ジャポンの記事はこちらからもご覧いただけます。
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