スリランカ

JENは、2004年12月26日にスリランカ南部を襲ったインド洋津波の被災者緊急支援から活動を開始しました。その後、津波と紛争の二重被災を受けた東部、続いて最後の激戦地となった北部でも紛争被災者の生計を回復する支援活動を行いました。

スリランカでは、1980年代より20年以上にわたりシンハラ人を主体とした政府と、タミル人武装勢力組織タミール・イーラム解放の虎(LTTE)による紛争が続いていました。2002年、両者間の停戦合意が実現しましたが、2006年春以降、北部と東部で再度衝突が激化しました。国内避難民の数は、2007年3月には全土で30万人を超えていました。

長年の紛争の影響は色濃く、特に北部では地雷や不発弾の処理に時間がかかりました。終戦から3年後の2012年9月、避難民キャンプの閉鎖に伴い多くの人びとが出身地に帰還しましたが、20年以上続いた紛争によって土地は荒廃し、仕事も失った人がほとんどでした。JENは、東部と北部において、こうした帰還民の生計を回復するための支援活動を通じて、平和構築に貢献してきました。JENの活動は、帰還した人びとの生計を支える農業用井戸の修復などからスタートしました。徐々に効果的な農業技術、知識の定着や、災害からいち早く回復するための知識・技術の普及など、現地の人びとの能力強化へと、活動の重心を移して行きました。

時間の経過とともに、人びとは、JENの活動を通して得た知識、スキル、そしてコミュニティの繋がりを活かして、災害に負けない地域・人づくりを自らの力で担い始めました。2017年12月、JENはスリランカでの活動を終了しました。

北部:紛争で心の傷を負った人びとの、生活の再スタートを支える(2009年6月から2017年12月)
〜緊急(給水活動や生計回復支援)から復興(コミュニティ強化や農業支援)まで〜

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復興から取り残されたコミュニティの再建

紛争最後の戦闘地、北部ムライティブ県では2010年7月から避難民の帰還が始まりました。数十年ぶりに故郷に戻った人びとが、水を確保することから支援を開始しました。彼らが少しでも安心して生活の再スタートできるよう、紛争いよって破壊、放置されていた井戸の修復や清掃を行いました。また、修復した井戸の維持管理を住民主導で行えるよう、一人ひとりにワークショップへの参加を促しコミュニティの強化をはかりました。

帰還したばかりの人びとは、自身の生活の維持を優先する傾向にあり、近隣住民と協力しあう機会が十分にありませんでした。そこでJENは、地域内で人びとが協力しあう機会を創出しコミュニティの活性化を促しました。そのため、地域ごとに帰還民をメンバーとした政府公認の「農業協同組合(以下、農協)」の設立をサポート、住民主体のしくみづくりに貢献しました。

各地域の農協は定期的に会合を開き、収入向上に向けたマーケティング研修の受講や加工品の販売などを行いました。活動の中で、組合員たちは団体交渉の能力を身につけ、それが地域農業の活性化につながりました。また、農協間の相互サポートや課題の共有、市場の相場補完などの取り組みは相乗効果をもたらし、機能的なネットワーク形成につながりました。

北部の活動では、8年間に12万6千人以上の人びとの自立をサポートしました。

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農業を生業にしていた人びとへの自立支援(2011年1月から2017年12月)

スリランカでは、紛争の影響によって土地が荒廃し、多くの人びとが生業としていた農業の再開が困難な状況にありました。さらに北部、東部、南東部での度重なる干ばつや洪水などの自然災害も影響し、人びとは「二重被災」といった厳しい環境のもと、生活の再スタートを余儀なくされていました。JENは、こうした状況を改善するために、農業用井戸の建設と農業技術ワークショップなどを開催し、生計の回復と向上に貢献しました。

農業用井戸の建設によって、乾季でも農作業ができるようになり収入向上につながりました。また、井戸の維持・管理はJENが設立をサポートした農協が協力して行う継続的な仕組みになりました。加えて、住民を対象に実施した農業技術ワークショップでは、種苗の配布と活用方法、マーケティング手法などを習得、生産性の向上と人びとの安定した収入源の確保を目指しました。

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国内避難民への緊急支援(2009年6月から2010年12月)

2009年5月、北部で26年続いた紛争が終結しました。その翌月より、JENは避難民キャンプにて給水活動などの緊急支援を行い、水の確保から生計回復に向けた基盤づくりまでをサポートしました。キャンプ閉鎖後は、親類宅やホストファミリー宅に身を寄せている人たちに対する支援活動を行いました。

南西部:洪水緊急支援(2017年6月から8月)

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2017年5月24日から25日にかけて南部で発生した大規模な洪水と地滑り(死者:212名、行方不明者:79名、被災15県における被災者数:約68万4000人*)に対して緊急支援を行いました。

JENは、7月10日より特に被害の大きかった南西部のラトゥナプラ県にて避難生活を余儀なくされる世帯に対し、簡易シェルターを設置するための資材を配布しました。こうして、政府による仮設住宅が完成するまでの間、被災した人びとが安心して生活を送るための環境を提供しました。

*Office of the UN Resident Coordinator Flash Update, Sri Lanka , 2017 Monsoon Floods and Landslides, 5 June 2017

東部:紛争で心の傷を負った人びとの、生活の再スタートを支える(2008年4月から2014年2月)
〜緊急(漁協へのボート配布や農業支援)から復興(カウンセリングや農業支援)まで〜

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農業用井戸建設とコミュニティ強化(2008年4月から2014年2月)

東部バティカロア県、キラン郡、ウェラウェリ郡、パッディパライ郡の住民を対象に生計の回復をサポートしました。JENは農業用井戸を建設し、人びとの水へのアクセスを改善するとともに、作物の種苗を配布し、生産性と農業収入の向上を目指しました。効率化のみならず、JENの活動が終わった後も、自分たちで持続可能な農業が行えるよう、住民を対象にしたコミュニティ強化のワークショップや技術研修も実施しました。

6年間で約4万1千人の帰還民の自立をサポートし、2014年2月、東部での活動を終了しました。

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栄養・保健衛生活動(2008年4月から10月)

人びとは徐々に故郷に戻りましたが、乳幼児、妊婦、そして高齢者など、ぜい弱な人たちを中心に、必要な栄養素を摂取しないことで栄養不良に陥ったり、不衛生な生活によって水因性疾患を患うなど、健康面での課題がありました。JENはこの課題に着目し、主に女性世帯主や低所得者を対象に、18種類の種子と果物の苗を配布し環境にやさしく低コストで実現する農法を指導しました。また、栄養分を逃がさない調理法など、健康的な生活をおくるための栄養指導や衛生知識に関するマニュアルを配ることで、帰還民だけでなくコミュニティ全体への波及効果を目指しました。

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カウンセリング(2008年4月から2008年10月)

栄養・保健衛生活動と並行して、JENの心理学専門家とソーシャル・ワーカーが家庭訪問を行い、日常生活の不安や問題などをヒアリングし、場合によっては個別にカウンセリングを行いました。子どもに対しては、過去の辛い経験を忘れ前向きな気持ちを取り戻してもらうために課外活動を行いました。スポーツやお絵かき教室には、大勢の子どもが参加しました。

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漁協のキャパシティ・ビルディング(2008年4月から2008年10月)

JENは、紛争と津波(2004年12月に発生したインド洋津波)に被災した東部の漁業協同組合(以下、漁協)に対して、漁業の再スタートをサポートしました。故郷に帰還したばかりの組合員が、すぐに漁業を再開できるよう、共同で使用するボートを配布し、多目的利用ができるコミュニティ・ホールの建設などを行いました。さらに、組合員に対してリーダー・シップ研修、生活の再スタートとQOL(生活の質の向上)に向けた意識改革、水産物のマーケティング手法について、ワークショップを行いました。ワークショップでは、漁協が貯めた資産を地域住民全体の利益として有効活用し、責任を持って管理できるよう、地域全体のキャパシティ・ビルディングを行いました。

南部:インド洋津波被災者支援(2004年12月から2007年12月)
〜緊急(物資配布や教育活動)から復興(農業支援や児童課外活動)まで〜

野菜栽培(2006年4月〜2007年12月)

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津波で甚大な被害を受けたハンバントタ県は、もともと農業が盛んでした。津波以前は、農業従事者の割合が高かったにもかかわらず、被災後1年経った後も被災者の多くが無職無収入の状態でした。そこでJENは、安心できるくらしの再開を後押しするために、農業の再スタートをサポートしました。種や苗を配るだけではなく、低コストで高い効果が期待できる有機農法のワークショップを開催しました。

有機農業技術には、「コンポスト」と言われる自宅のごみを利用した有機肥料の作り方、周囲にあるハーブを生かした有機農薬の作り方、害虫駆除、苗の植え替え、効果的な水遣り法などがあります。こうした技術は地元農民にとって新しく知るものであり、一旦習熟すれば、近隣の村々にも堆肥の供与やワークショップ等を通じて広げることができるので、事業村だけでなく周辺にも建設的な効果が期待できました。

持続可能な野菜栽培を学んでもらい、中・長期的な生活の再建に貢献しました。

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魚網編み(2005年4月から2008年4月)

漁業を生業にする被災者に対し、魚網製作ワークショップを定期的に開催しました。製作された魚網は、漁業協同組合(以下、漁協)の所有物とし、組合員が使用できるようにしました。漁網制作という共同作業を通じて、組合員同士の絆が深まり、編み方を習得することで、組合員自身が達成感を得て前向きな気持ちになりました。また、手仕事を行っているあいだに、ソーシャル・ワーカーが心の傷の状態を診察することで、少しずつ安心感を抱くようになりました。ワークショップに集まる人同士が気持ちを共有することで、不安や焦りを乗り越え、前を向いて暮らして行けるようになりました。

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カウンセリング・児童課外活動(2005年4月から2007年9月)

2005年4月から’06年3月まで、津波被災者を対象にソーシャル・ワーカーなどによるカウンセリングを行いました。津波に被災したショックから、引きこもりがちになってしまう被災者に、グループ作業に参加してもらいました。他の被災者と心の痛みを共有することで癒され、前向きな希望を取り戻すことができたと、参加者は語ってくれました。

また2006年10月から’07年9月には、1日1回、被災した児童約50名を対象にスポーツなどの課外活動を行いました。スポーツやゲームで感情を発散し、辛い記憶や津波で受けた心の傷を癒す一助となりました。被災直後は波の音に怯えていた子どもたちは、遊びを通じて徐々に海岸線に出られるようになりました。

 

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ココナッツ関連製品作り(2005年4月から2006年3月)

スリランカでは現地で安価に手に入るヤシ繊維を使った製品が、日常生活のさまざまな場面で活用されています。津波被災者は、グループ単位でこうしたココナッツ関連製品の製作技術を身につけ、ココナッツ繊維を用いて作るほうき、ブラシ等の作り方を学びました。完成した製品を収入に結びつけるため、販路、流通についての知識を身につけたいとの強い要望を受けたため、マーケティングのプロによる研修会を実施しました。

 

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インド洋津波直後の緊急支援(2004年12月から2005年3月)

JENは、2004年12月26日に発生したインド洋津波で、スリランカでは3万人以上が亡くなりました。JENは津波が起きた翌日にスタッフを派遣しました。

精神的にも物質的にも困難があった津波被災者のニーズに応えるために、JENは緊急支援として食糧、水、生活必需品などの物資配布を決定。甚大な被害を受けた南部ハンバントタ県において、2,000世帯、約10,000人分の物資を配布しました。

 

スリランカの基本情報

国名 スリランカ民主社会主義共和国( Democratic Socialist Republic of Sri Lanka )
首都 スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ
人口 約2,103万人(2016年)
面積 65,607km2
人種・民族 シンハラ人,タミル人,スリランカ・ムーア人
言語 公用語(シンハラ語,タミル語),連結語(英語)
宗教 仏教,ヒンドゥ教,イスラム教,ローマン・カトリック教

出典:外務省ホームページ(2017年1月現在)